死を直視することのススメ
30代に入ってから、盆はまとまった期間実家に帰るようにしている。
ある程度時間に余裕のあるライフスタイルが出来たということもあるが、
老いていく両親、そして祖母と話にいくためだ。
祖母は父方の実家で在宅介護されていて、もうすぐ100才になる。
90前半は、未だ歩けてピンピンしてたのだが、
ある年、自力では立てなくなってしまっていた。
今年は、ベッドで寝たきりになっていた。
身体も去年よりも小さくなってしまっているし、
目も殆ど見えない。
基本は眠っていて、たまに起きるとなんとかコミュニケーションが出来る状態。
半分ボケて半分普通みたいな感じで、亡き人に対して話しかけたりしたかと思えば、
「そろそろお前は嫁をもらえ」など、僕にシラフなコメントをして家族を笑わせる。
在宅介護なんて綺麗なもんじゃないし、下の世話も大変だ。
祖母の実家は排泄物の匂いがほのかに残るような状態であるが、
それでもその選択肢を選んだ家族を僕は誇らしく思う。
そして家族にそうしたいと思わせるチャーミングな祖母を誇りに思う。
★★★
死ぬ間際になると、過去の思い出がフラッシュバックするらしい。
祖母は定食屋を経営しており、三味線や着物も嗜むなど、人生を相当楽しんでいる人である。
餅つきを毎年祖母の家でしたのも良い思い出であるし、それらの思い出は
祖母の中に深く刻まれているのだろう。
人生の快の思い出というのは、死ぬ時の拠り所になるのではないか。
そんなことを祖母を見ていて思う。
人生を快で満たし、自分が死ぬ時に思い出せるような経験を積み上げていくことが
今を生きる我々に課されていることであり、
やらなかった後悔を残したり、嫌なことに時間を使うような余裕は我々の人生にはない。
・自分じゃなくてもできることは、誰かに任せとけ
・自分がやりたくないことは、誰かにやってもらえ
・無駄なmtgなんて出るな
・どうしても気が合わない会社なら辞めてしまえ
自分の可能性を信じず、自分の情熱に蓋をする人生なんて、
自分を生み育ててくれた家族に失礼だ。
自己満でいいから、思いっきり生きろ。
身近な人の死の匂いを感じるたびに、そのように背中を押されている気持ちになる。
だから僕は来年の盆も実家に帰るのだろう。