ビジネスマンが哲学を学ぶ意味は・・・あった。相当あった。
この3連休やることがないことに気づいた。
で、以前から興味があった哲学の読書を再開しようと思い、古代ギリシャ〜現代まで哲学をサマった著書を数冊読んでみた。
※ものごとを始めるにあたり、全体観と目的を把握しないと絶対続かない人なので・・・
結論、哲学は教養として相当役立ちそうな事が身にしみて分かったので、学ぶ目的をまずまとめていく。
<ざっくり見出し>
- 1) 哲学は数学などと同じルーツである
- 2) 哲学とは結局、「新しいものごとの見方・モノサシを仕入れる」学問っぽい
- 3) 弁証法・演繹法・帰納法の違いって意外と分からなかった
- 4) 人を動かす力は哲学で磨けるのでは
- 5) 人生を分解したとき、自分の信念/倫理を磨き上げることが最重要事項だ
1) 哲学は数学などと同じルーツである
古代ギリシャの哲学者を調べると、生物学や天文学や数学だったり、多様な学問に精通している。これはどうやら、昔はこれらを全部一緒くたにしていて「哲学」としていたようなのだ。
つまり、世の中にある不思議を様々なアプローチで解明していた学者達の記録の中から、定量化できない考え方の部分を抽出した学問が哲学だ。(ざっくり)
このルーツでいうと、日本では高校の倫理で少し触れる程度にしか義務教育ではカバーされていないが、本質的には教育でカバーされていてもおかしくない分野なのではないか。
その延長で、日本のビジネスマンは数字に強いことは求められるが、哲学に造詣が深いことは不必要とされていると感じる。というか「役に立たなそう」というのが哲学のイメージであったりする。
一方、もし哲学がビジネスに有用な側面があるのであれば、そこを学ぶことは他者との差別化になるんじゃ?と思ったのがきっかけ。
2) 哲学とは結局、「新しいものごとの見方・モノサシを仕入れる」学問っぽい
で、結局哲学は何に役立つの?という話であるが、
今のところの僕の理解では「新しい概念を仕入れる」学問だ。
例えば、ソクラテスで有名な「無知の知」でも、
もし無意識という概念を認識していなければ、
自分が知らないことを知らない状態なのか、知っていて知らない状態なのか、その区別さえつかない。
「蝶」と「蛾」として使い分けて認識する存在が、フランスでは「papillon」とまとめられていたり、
「愛」と「恋」として使い分けて認識する思いが、アメリカでは「Love」とまとめられているように、
ものごとの尺度を増やすことは、世の中をより細かく理解することに役立つのだ。そもそも尺度が無いことには気づくことすらできない。
人間は、習慣の生き物であり、オッサンになると起きてから寝るまでがほぼ習慣化されがちだ。
それはあなたが積み上げてきた結果であり「できることに気づかない状態」であり、生きる上でのコスパとして極めて良い。
だが習慣化された毎日を過ごし続けることは現状維持に過ぎない。むしろ、体力気力は確実に衰えるためジリ貧になっていく。
(気づいたらもう1週間終わっていた・もう季節が変わっていたみたいな兆候がでたら危険フラグだ)
哲学を学ぶことは、当初は脳内に極めてストレスがかかるが、それは自分を中に新しい価値観をインストールしている状態だと歓迎したい。
で、ある程度哲学のイメージが湧いたところで、具体的に想定されるメリットをこれから3つ挙げていく。
3) 弁証法・演繹法・帰納法の違いって意外と分からなかった
ロジカルシンキングで勉強されている方は大丈夫だと思うが、僕の場合は、概念としてなんとなく分かっていたが、哲学の論調と合わせて学ぶことでようやく腑に落ちた。
結局、弁証法の積み重ねで今の社会は成り立っているし、
<例>
A:寺子屋のようなフリースクール時代(少数教育のため運営コストは非効率だが、思考力を高める細かい指導が可能)
▼
B:国の定める教育要項に乗っ取る義務教育時代(運営コストは効率的だが、詰め込み型)
▼
C:教育要項+総合的学習のハイブリッド時代(運営コストを効率化し、思考力も高めようとする)
ものごとの良い面を合わせて現実的に落とし込むというプロセスはビジネスで使いまくる。
あと演繹法で、「この数字そもそもの前提が違うんじゃね?」とか
帰納法で、「一般化するには母数が不十分じゃね?」みたいな定量的な指摘って簡単だが、
定性的なレポーティングに対しては、これらは気づかずにスルーしているケースが多いんじゃなかろうか。
そのあたりの、定性の事象に対しての演繹・帰納法スキルも哲学で磨かれる予感がする。
4) 人を動かす力は哲学で磨けるのでは
で、管理職になると、人をスムーズに動かすことが必要になってくる。
管理職の仕事は、チームの仕事・リソースを整理し、やるべき意味を示すことだ。
アリストテレスの言う人を動かすための「エトス・パトス・ロゴス」つまり
「信頼/倫理・情熱・論理」を磨くために哲学は役立つのではないか。
つまり、「何故・何のためにあなたはこれをするのか?」という事象を誰よりも突き詰めた人の言葉にはこれら3つが宿ると考える。
普段から自分の中の倫理観に向き合い、そのルールに忠実に生きることで、その人の生き方や言葉には説得力がこもる。
企業ベースで考えるとビジョンの浸透という話になるのだろうが、そんな大それたことでなくてもいい。
自分が自分の人生に実践している哲学のフレームワークをメンバーベースに落とし込み、彼らがこの環境下でこれをやる意味を伝えることが出来ればよいのだ。
5) 人生を分解したとき、自分の信念/倫理を磨き上げることが最重要事項だ
かつて証券会社時代のお客さんに、よく生き方の話を聞いていた。
人生に必要なものを分解したときに、
・家族
・友人
・社会
・金
・健康
・趣味etc
があると思うが、全ての上位概念となるのが、「なぜ生きるのか」「どのように生きるのか」ということではないか。
これらには答えはないし、外部環境にもより変わりゆくものだから、一生向き合い続けてより良くしていくことが可能だ。
金稼ぎに集中したり、健康オタクになったりするのは、ある種、
人生の本質である「生きる意味」を考えなくていいので楽だと思う。
ただ、見失ってはいけないのは、カネも健康もあなたの人生の構成要素の一つにしかすぎない、ということだ。
自分の生き方を見つめ直す時間が、生きる上で最も価値があることである。
そのために役立つのが哲学だろう。