【哲学・考察4】スタンレー・ミルグラムの服従の心理
人は誰かしら、権威に服従する(少なくとも影響を受けやすい)ようになっている。
【感想】人生は運よりも実力よりも「勘違いされる力」で決まっている - 私は好きにした、君らも好きにしろ
ただ、それ以外にも構成要素は無いのか?例えば20世紀最大級の惨事であったホロコーストは、権威だけが要素だったことは間違いないだろう。
そのあたりを詳細に・過激な手法で実験したのがミルグラムだ。
彼の行った実験概要だ。
・生徒役と先生役に分かれ、別室でクイズに回答する生徒役(サクラ)に対し、先生役はクイズ不正解の度に電流を生徒役に流すルール。
・先生役(被験者)はいつまでルールに乗っ取り、生徒役に電流を流し続けるのだろうか?というものである。
同実験は2009年にも再度大々的に行われたが、
大半の被験者は生徒役が気絶して回答できなくなる・生命に危険が生じる電流の大きさになってもルールに従いスイッチを押し続けた。
過激化するメディアはどこまでいくのか - 私は好きにした、君らも好きにしろ
一体何がそうさせるのか?
ミルグラムはこのように仮設を立てた。
被験者は、実際に判断を下す権威者(実験担当者)に倫理的責任を転化しているからではないか?
つまり、「他人にやれって言われたから仕方なくやりました」 という状況であれば、人は残虐な行為も耐えられるという仮設だ。
そこに対し、彼は2つのアプローチで前提を変えたテストを行った。
①実際に電流を押すパターンと、流す電流を読み上げるだけのパターンに分けた
②実験担当者の中でも意見の相違を持たせた(危険なので実験は中止する派と実験は継続派に意見を分けさせ、被験者が自分でどうしたらいいか判断させるようにした)
前提を変えた時、何割の参加者が最後まで電流を流す作業に携わったのだろうか。
・流す電流を読み上げるパターン:参加率93%
・実際にボタンを押すパターン:参加率65%
・実験担当の意見の相違の中、実験を続けるよう判断するパターン:参加率0%
※他にも、実際に直接被験者に触れないと電流が流れないパターン:参加率40%
眼の前で生徒役が苦しんで見せるパターン:参加率30%
などがあった。
つまり感覚的に分かると思うが、
「自分が実験に主体的に参加している度合い」と「人が非道徳的な行いを行う割合」は反比例するというのがこの実験の結論だ。
一方、自分の意志だけで「残虐な行為をするかどうかプレッシャー無く選べる状況では、人は残虐な行為を行わない」ということも言える。
逆に言えば、非道徳的な行いを組織的に行わせるためには、
・一つ一つの作業を極めて縦割りにする(例:ボタンを押すだけの人、掃除するだけの人、運ぶだけの人、etc)
・報酬を与え「仕事なのでやらされている・主体的ではない」という口実を与える
というアプローチが有効と考察できる。
これはユダヤの大虐殺の時に精密に設計されていた部分である。
ただ、この要素は会社組織にも言えることではないか。
アパマン投資への違法融資・車や素材の違法表示・粉飾決算など
ビジネス界隈で問題が発生している組織は全てこのロジックが働いているように思う。
この実験からの示唆は、
「もし自分が一部でもその片棒を担がされていそうと気づいた時は、
思い切ってそこから飛び出す勇気を持ちたい」ということだ。
それはオリンパスの粉飾を告発したマイケル・ウッドフォード氏のような勇気のいるものでなくてもいい。
まずはその環境から逃げ出す、そして誰かに伝えることでも事態は大きく好転する。
生活のために自分の倫理観を殺して働くことは、生きていて辛いだけだから。
ミルグラムさん、ありがとう。合掌