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社畜でもフリーランスでもなく会社員として自由になってみた

最近我が社で新サービスをローンチしたのだが、やはり新しいものを世の中に出すのは本当に楽しい。

 

 

商品の経済条件の確定、プロモ/露出方法選定、デザインの方針決め、開発との仕様決め、各種委託先との交渉/品質管理、社内向けのレポート、ユーザー対応etc・・・

企画、編成、開発、営業、マーケなどの機能を横串で見る経験は、このフェイズならではの稀有な経験なのだが、判断の連続の日々は中々疲れる。帰ると泥のように寝ている。

 

一方ローンチのご褒美に、今年11月からは12日間程かけて地中海あたりに海外旅行に出かけてくる。これがあるんで頑張れる訳で・・・

 

つまり思うに、仕事の楽しさは

・適切に自分に判断の裁量権がある前提

・働く時間をコントロールし、プライベートを楽しめる余力がある前提 

 

の2つがあって成立するんではないかと思うのが、今日の趣旨だ。

図解にするとこういうことである。

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※前提として、業務の判断量(縦軸)が増えるほど、収入は上がる。

一方、時間の自由度(横軸)はそこまで収入に直結しないこともある。(みなし残業や休日出社を強いるブラック企業の例を想像してほしい)

 

これからこの4象限を見ていこう。

 

 

 

 

 

ブラック企業

これは、時間の拘束が激しいが、仕事内容自体に自由度が低いものだ。

平たくいうと「仕事もつまらんし、疲れて寝るだけ」の状態。

例えばロジや入金消込業務等の業務内容を、少人数の部署で運営している場合にこのようなことが起こる。

こうなると毎日終電帰りは当たり前、繁忙期は土日に出勤させられ、プライベートの時間はほぼ寝るだけ。洗濯や掃除をしてたらもう仕事が始まる、みたいな生活になる。

 

拘束されている分の給与が払われているならまだ良いが、もし払われないなら早急に転職か部署異動を願おう。

自由度が低いいわゆる「手を動かす仕事」を大量に行っても、新しい学びは発生しない。

※よく言われる量質転化とは、工夫の余地がある仕事に対して数をこなすことで改善されてくるということなので、今回とは前提が異なる。

 

フリーター・三流社員

これは、時間拘束は低いが、仕事内容自体に自由度が低いものだ。

平たくいうと、「仕事はつまらんが、定時に帰ってプライベートに遊ぶ活力がある」状態。

ブラック企業からこのフェイズに移動した人は、人生の楽しさにようやく気づいたりする。定時に帰れることのなんと幸せなことか!

 

例えばフリーターの仕事は判断の裁量が殆どないので、精神的な疲労は殆どない。

バイト中に、「今晩何食べよ」「今度の週末なにしよ」とかプライベートの時間に思いを馳せる余裕がある。そして仕事終わりの時間は、自分の好きなように充実した時間を過ごすだけの余裕が残っている。

 

社員の場合でも、仕事もろくに進めず毎日定時に帰るようなオッサンを想像して欲しい。

彼らの働き方は、組織からすると全く評価されないが、フリーターと比べると給料も高い訳で、個人の選択としては悪くない。

ただ、そういうフリーライダーは遅かれ早かれ会社にも居場所が無くなる可能性が高く、転職の武器が無く厳しい状況となるのがリスクだ。

また、仕事自体に楽しさを求める価値観の人には物足りなさが残る。

 

 

管理職・一流社員

これは、時間拘束が高いが、同時に仕事内容に自由度が高いものだ。

部長以上のレイヤーに言える。これは自分の城を築きある程度思い通りにビジネスするのが認められた人たちであり、相応の金銭リターンがある。

 

仕事を突き詰めて、ここの階層に行くのが従来の成功モデルであったが、多くの人々はここに向かう中で、中間管理職の「裁量の無さと時間拘束の高さ」に苦しむことがある。

 

一方、この階層は最も年収が高くなりやすいが、プライベートの時間を捻出するのは至難の技だ。平日の家族行事への参加などはかなり厳しい。

休めたとしても、休日中でも電話やチャットが鳴りまくって結局仕事しないといけないのがオチだ。

 

このレイヤーは、「自己表現の手段としての仕事」を選ぶ人の価値観に合っている。

 

自営業・二流社員

これは、時間拘束が低く、同時に仕事内容に自由度が高いものだ。

こんなことが可能か?と思われると思うが、結構シンプルである。

要は「自分の裁量100%で進められ、パフォーマンスを出せる仕事」を作り出し、それに専念する環境を作れば良いのだ。

 

自営業の人が幸せそうに働けているのは、自分の裁量の中で全て自分の判断でビジネス出来ているからだ。

そうして彼らは平日に家族行事に参加するし、お盆やGWには仕事をし、オフシーズンに1/3の値段で旅行にいくことが出来る。

 

で、会社員においても、それに近いことが出来るというのが僕の持論である。

これを一流でも三流でもない「二流社員」と呼ぶが、

 

特徴としては、

・徹底的にパフォーマンスを出し、社内で信頼を得ている状態

・その上で「定時に必ず帰る/有給は必ず消化する」ということが雰囲気的に認められている状態

・プライベート時間に仕事が発生しないように、部下には権限移譲し、上司が休みの間は自分で判断できる状態にしている

・チームの規模感が多すぎると権限委譲しきれなくなるため、目安5名程度の組織までに多い印象 

 

という状態だ。

 

おそらく少人数のチームを率いることになるため、三流社員と社会的な地位は対して変わらないのだが、年収と仕事のやりがいという点では大きく開きがある。

 

価値観が代わればそこから一流社員を目指すことも可能であり、徹底したアウトプットを出し続けること、自分はプライベートも尊重したいという意思表明を出し続けることによってこのポジションを目指すことが出来る。

当然、二流社員は一流社員のように年収1000万超は厳しくなってくるが、一流社員以上の「プライベートを楽しむ余裕」と三流社員以上の「生活に困らない平均以上の年収」の良いところ取りをすることが可能だ。

 

よく、「社畜」などの投稿がネット上を騒がしているが、会社員も自営業も、自分がパフォーマンスを出して、そのリターンとして収入や時間の自由を手にするというという原則はある程度同じだ。

 

そういう意味では、社内でまず確固たる地位を築いて、まずは会社員ながらも自由に働くという生き方を目指すのはどうだろう。

フリーランスを目指す前に、まず会社の中でやれることはやったのか?

ということを、この手の論調を見るたびに思う。