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過激化するメディアはどこまでいくのか

2009年にフランスで過激な人体実験が行われた。

架空のクイズ番組の体裁を取り、出題者(本実験の被験者/一般人。)と回答者(役者)に分かれる。

 

 これはあるクイズ番組のパイロット版の体裁であり、そのクイズが「全部で27問のクイズを出題者が読み上げ、全て終了したら出題者と回答者に数千万円単位で報酬が与えられる」という番組のリハーサルの位置づけだ。

概要説明を受け、4000円程を謝礼として被験者が受け取ってから実験は始まる。

 

企画で問題なのは、

・不正解になるごとに20V刻みで回答者に電流が流れること

・最終的には450以上の電流が流れ、これは回答者に生命の危険がある水準であること

・そして、電流を流すボタンを押すのは出題者であること

である。(あくまで実験なので、実際に回答者に電流は流れていない。)

出題者以外は全てサクラの中、どれだけ倫理観を出題者が保てるかを実験するのが狙いだ。

 

結果。

8割の人が450Vの電流ボタンを押したらしい。

 

それの意味することは、

不正解を重ね、電流を浴び苦しみ「もう止めてくれ」と泣いて懇願する回答者に対し、8割の人間は、このクイズ番組を完了させるためボタンを押し続けたといことだ。

これは、良心に義務感が勝った、個人の人間性に組織の圧力が勝った、ということを意味する。

 

この実験は、下記のように貴重な示唆がある。

(より詳細は本著に譲る)

・テレビという大きな権威に被験者が屈した

・観客の同調圧力に被験者が飲み込まれた

・少額でも金を受け取ると、人は仕事と割切りが発生し、良心をないがしろにする

・良心の呵責に耐えられなくなると、人は逆にその仕事に集中し無心となり、良心の入り込む余地を無くす傾向がある(その仕事が残虐なものであったとしても)

 

これらは人間のメカニズムとして知っておくべきものであり、例えばアウシュビッツの大虐殺の際、ナチス軍の人々は何故あのような行動を取れたのか、上記全てに当てはまる。

 

この実験がなされたのは2009年であり、ITバブル崩壊後に、視聴率を担保するために民間の放映局が「一般の人の醜態や、痴態をさらす番組」に走り出した事を端となしている。

ちょっとあまりにショッキングなので詳細は本著に譲るが、金のために人々がグロテスクな行為をしたり、セクシャルな行為をしたり、命の危険をさらしたりする番組が急増したという。そして、将来的に殺人を委託するような番組が起こりうる、とこの著者は警告している。

※昔、ロンブーの番組でカップル同士が汚い口喧嘩する企画見て民度が低いと呆れたが、それとか可愛いもんに思える。

 

僕自身は家にTVを持たなくなり長いので(時間と場所使ってわざわざ広告を見る意味が分からんくなった)最近の動向には疎いのだが、最近だとyoutuberに上記2009年と同じような香りを感じる。

富士の樹海に撮影に行った人間、社会主義の国で拘束された人間、様々なyoutuber話を聞いた。

 

つまり行動指針が「いかに目立つか」だけで走るのは、極めて危うい。

その目的だけで見ると、犯罪やエロや死を扱うのが最も目的達成の手段として早いからだ。

 

技術革新は早いが、人間の生物としての進化は、ローマ時代に奴隷と猛獣を戦わせていた時代から殆ど変わっていないという事を僕たちは今一度深く考え直さないといけない。

 

じじい臭いことを言うつもりはないが、最近のトラフィック主義・いいね主義には危うさを感じるのだ。