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【哲学・考察1】ジョン・ロックの経験主義

哲学で自分の琴線に触れた思想を「実世界ではどう使うか?」

そんな観点で、シリーズものとして書いていきたいと思う。

 

まず前提として、哲学は人を対象とするから答えはない。

だからこそ批判の余地があって、数多の人々の議論によって改善されてきた経緯がある。

 

多様な意見にフィードバックされることは質の高いアウトプットを作るために必須のプロセスだから、哲学はSNSとかブログと相性が良いのではと思った。

興味を持つ人が少なそうだけどw

 

さて、今日はジョン・ロックの経験主義である。

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ちょっと声が高そうな顔つきである

ジョン・ロック - Wikipedia

 

サマって言うと、認識において「人は経験したことからでしか理解できない」

という事がメッセージである。

 

これは、今を生きる我々からすると当たり前のことである。。

が、アウトプットからではなく、その背景を知ることが哲学には大事だ。

(というか、数百年前の結論が今当たり前のように我々の価値観に根付いていることがそもそも素晴らしすぎる)

 

さて。ロックがこれを提唱するまでは、どのような社会背景だったのだろう?

まとめると

 

①世界と自分の繋がりは、純粋な思考と、演繹による一般化によって体得することが出来る(デカルトの思想)

②世界と自分の繋がりは、生まれながらに前世で得た知識を有している (プラトンの思想)

 

などが中心であった。

 

だがロックの主張するところは、これらの大先輩に喧嘩を売る「生まれ持った初期値は全員は同等である」というメッセージであり、貴族に従属している大衆に強烈な活力を与えるものであった。

 

このメッセージは、こんな感じで経験や教養における大衆の価値観を目まぐるしく変えたに違いない。

 

妻:「ちょいちょい、うちんとこの子も塾入れさせなあかん!」

夫:「なんでや、そんなんやっても無駄やんか、カネもないし」

妻:「流行りのロックさんが(以下略)って言ってはるで。貴族もうちんとこの子も、元々は白紙みたいなもんで、経験で差がつくんやって!」

夫:「おおおお、こら大事な息子の将来のためや、習い事させよ!」 

 

みたいな。

 

経験への投資は人生を豊かに生きるための原動力である。

もしこの価値観が今の我々に根付いていなかったら、生まれた時点で僕たちは人生を諦めてはいなかっただろうか。

生まれのせいにして、今の待遇を嘆いていなかっただろうか。

 

そして今。僕たちは100才まで生きて70才までは仕事をせねばならない時代にいる。

20年以内に大半の仕事は自動化される社会において、僕たちは社会の変化を受け止めながら、アンラーニングとラーニングを繰り返していく必要がある。

 

そんな社会においてロックの「動き始めないと何も変わらない」というシンプルなメッセージは、新しい学びを面倒臭がる僕たちの背中を押してくれるんじゃないか。

 

今、僕たちが当たり前として享受している考え方や社会は、先人達のこのような積み重ねによって存在していると思うと、感慨深い。

 

ロックさんありがとう。合掌